「アルセウス」という存在が生む光と闇

 「Pokémon LEGENDS アルセウス(以下LEGENDS)」では図鑑完成しないとアルセウスに会えないけど、もし完成させられなかったらどうなっていたんだろう……。
 トロス組がまだヒスイ地方に来てなかったら、来るまで待つのか? レジギガスの扉が開かないままだったら、アルセウスは補填してくれるのか?? とか考えていて、ふんわり浮かんできたものです。

  • LEGENDSのメインクエスト最後までのネタバレを含みます。
  • ここで言うアルセウスは、特に記載が無い限り、LEGENDSの冒頭で呼びかけてくる存在(あなたたち ひとが アルセウスと よぶもの)を指しています。

「アルセウス」って何なんだろう

 アルセウスは主人公をヒスイ地方に呼び、「全てのポケモンに出会う」という使命を与えたが、結局のところ目的は何だったのだろうか。
 振り返ってみれば、アルセウスは冒頭と図鑑完成イベントにしか現れない。アルセウスフォンを通じて指針を与えては来るが、これはシステム(メタ)的な部分を引き受けている面があり、アルセウスは実質何もしていないともとれる。
 何故すべてのポケモンに会わなければアルセウスと対面できないのか?(というか最初に会ってるやん) ヒスイ地方に呼び寄せた主人公と再会することだけが目的だったのだろうか?

 そもそも、最初に現れたアルセウスはどんな存在で、どんな力を持っているのだろう。と考えて、ゲーム中で語られている神話がヒントになるのではと思った。
 神話の中では、アルセウスは二匹の分身(ディアルガとパルキア)、三つの命(ユクシー、エムリット、アグノム)を生み出し、それぞれに「もの」と「こころ」を生ませたとされている。
 見方を変えてみれば、アルセウス自身は世界を創っていないとも言える。その力を持つ存在を生み出すのは確かに凄いことだが、アルセウスが本当に万能の創造主ならば、自らが直接世界を創造するのではないか?

 世界創造のくだりに関しては、ダイヤモンド・パールの時点ではプレートに刻まれた文章と、ミオ図書館にある「はじまりのはなし」に見ることが出来る。プレートの内容をわかりやすく解釈したものが「はじまりのはなし」であるように見受けられる。

そのもの じかん くうかんの 2ひき ぶんしんとして よに はなつ
そのもの じかん くうかんを つなぐ 3ひきの ポケモンをも うみだす
2ひきに もの 3びきに こころ いのり うませ せかい かたちづくる

(プレートの文章から抜粋)

さいしょの ものは ふたつの ぶんしんを つくった
じかんが まわりはじめた くうかんが ひろがりはじめた
さらに じぶんの からだから みっつの いのちを うみだした

ふたつの ぶんしんが いのると もの というものが うまれた
みっつの いのちが いのると こころ というものが うまれた

(「はじまりのしんわ」から抜粋)

 ヒスイ地方を描いたLEGENDSの中では、前者のプレートのみが存在している。
 「はじまりのはなし」の中ではディアルガ達が祈ることでそれぞれの司るものが生まれたと明確に書かれている。しかし、他の神話では彼らが祈ったというくだりは見られない。ディアルガとパルキアは生まれただけで時間と空間が生じているし、ユクシー達は飛び回ることで知識(感情、意志)を人々に芽生えさせている。ディアルガもパルキアも湖のポケモン達も、おそらくは自らの自由意志に従って振舞っているだけなのだ。
 プレートの文章は、読み方によっては祈ったのはアルセウスであるとも解釈できないだろうか。

2ひきに もの 3びきに こころ (そのもの)いのり (2ひき・3びきに)うませ せかい かたちづくる

 更に掘り下げると、神話のポケモン達は実際に創造を行ったわけではない。彼らの存在を受けて、人々が世界を認識したという事象が「せかい かたちづくる」なのだ。
 この辺りの解釈については「ヒードランとシンオウ神話」で詳しく説明されているのでそちらを参考にしてほしい(既読の人ばかりだと思いますが、一応紹介しておきます)

 ここまでの解釈を統合すると、アルセウスによる創造はこのような流れになる。

  1. アルセウスが祈る
  2. ディアルガ達が生まれる
  3. 人間が彼らを認識する(ディアルガ達は力をふるう、ユクシー達は飛び回る)
  4. 人がもの(こころ)を認識する

 ……随分と回りくどい気がする。しかし、アルセウスから使命を託されたLEGENDSの本編も、同じようなものではなかっただろうか。

 LEGENDSのはじまりは、ヒスイ地方の世界に身一つ(とスマホ)で放り込まれた主人公と、ポケモンを研究しているラベン博士との出会いだった。
 ラベン博士が主人公を見つけたのは飛び出していったポケモンを追いかけていった結果であり、最初に主人公を見つけた彼らは博士が他の地方から連れて来たポケモンだ。アルセウスが遣わした、といった特殊なバックボーンも持たない、いたって普通のポケモンだ。
 彼らをはじめ様々な人やポケモンと関わることになるが、出会う者達は皆、自らの意志で行動していたはずである。それぞれの意志や、時には偶然が重なった末にアルセウスとの邂逅を果たすのだが、それこそがアルセウスの本当の力なのかもしれない。
 アルセウスには、物質を生み出したりする能力は備わっていない。しかし、アルセウスの「祈り」が世界に働きかけることによって、運命や因果といったものを動かすのではないか、と。
 だから主人公が諦めさえしなければ、キッサキ神殿の扉は開かれるし、ラブトロス達もヒスイの地にやって来るのだろう。

 アルセウスは自身の居場所を「じかんもくうかんもこえた わたしのうちゅう」と語っており、ヒスイ地方がある場所とは別の次元に存在しているとわかる。
 また、最後にゲットするアルセウスは「アルセウスの分身」であり、語りかけて来た存在そのものではない。アルセウス自身はヒスイ地方の次元には直接干渉できない、もしくはディアルガ達のような(あるいは、それ以上の)異変が起きてしまうことを知っているため、干渉しないようにしているのだろう。
 自らの宇宙の中でアルセウスが祈ることで、ヒスイ地方のある世界、そしてそこに生きるポケモンや人が誕生した。アルセウス自身は直接は何もしていないが、人々が「神の見えざる手」の存在を感じた時、そこに神=アルセウスを見てきたのではないか。(それに最初に名前を付けたのが古代シンオウ人なのかもしれない、という余談)

 アルセウスは何を祈り、主人公を呼んだのだろうか。最後の勝負の後、アルセウスはこのように語る。

すべてのポケモンにであう
あなたはみごとなしとげました
あきらめなければ おもいは
いつかかなえることができる
あなたのかつやくは
それをあらわしています
コダイノエイユウ……
かれらとおなじように

 本編の中で何度か語られてきた「古代の英雄」は、10のポケモン(=現キング達の先祖)とともにシンオウさま(=アルセウス)に戦いを挑んだと言われている。アルセウスの台詞からも、そのまま解釈して良さそうだ。古代の英雄も幾多の困難を乗り越えた先に、アルセウスとの対面を果たした。きっかけを生んだアルセウスの祈りが何だったのかは、「神のみぞ知る」なのだろう。

 それから長い時が過ぎた時代、ヒスイ地方に生きる人々は多くの苦難を抱えていた。古代シンオウ人はその地を去り、その後に現れたコンゴウ団とシンジュ団は各々の信仰をめぐって対立している。そして、他の土地から追いやられるようにしてやって来た銀河団は、ポケモンを恐れる多くの人々の数少ない居場所だった。
 アルセウスは「ヒスイの人々に希望を」と祈ったのではないだろうか。その祈りが世界に働きかけ、運命を動かす最後のカケラとして、別の世界から主人公が呼ばれたのだろう。

このせかいに
あなたをよんでよかった
これからのあなた
そしてあなたがいきていくうちゅうを
わたしはしゅくふくしましょう

 主人公の活躍を経て、ヒスイ地方に生きる人とポケモンは共に歩み始めた。そこに明るい未来が待っているだろうということも含めての、アルセウスの言葉なのかもしれない。











祝福の光と、その裏側にある闇

 ここまでアルセウスの力についての解釈をしてきたが、祈りがもたらすのは、本当にそれだけだろうか? ヒスイ地方には、とある一節が伝わっている。

強き光は 深き影 生み出したり

(ギラティナのポケモン図鑑)

 アルセウスの祈りによって動く、ということはつまるところアルセウスは祈る「だけ」であり、実際に助けてくれるわけではないという意味でもある。使命を与えられた全ての人間が、困難を超えられる強さを持っていたのか? 英雄の前に立ちはだかった者にも、成し遂げたいことがあったはずではないか?
 非常に短い文章だが、古代シンオウ人はアルセウスの祝福が良いものだけをもたらすわけではないことも認識していたと思われ、どこか得体の知れなさを感じてしまう。


壊れたギラティナの像が建つ場所が「祈りの広場」というのは、何とも意味深。

 LEGENDSにおける影の役割を担ったのがウォロだった。
 イチョウ商会の商人として出会った彼は、メインシナリオの終盤で古代シンオウ人の末裔であると明かし、アルセウスとの対面を阻むためにギラティナと共に立ちはだかった。最終的には主人公に敗れるのだが、彼はまさしく、アルセウスの祝福から零れた存在であるように思われる。
 ウォロはアルセウスに会いたいと願い続けていた。もしかしたら彼が使命を託されるIFもあったかもしれないが、実際にはそうならなかった。アルセウスに心酔していたらしい彼に、アルセウスの祈りはどうして応えなかったのだろうか。
 ゲーム中で描かれる人物像を辿っていくと、ウォロが選ばれなかった理由が見えてくる。

 彼はしばしば主人公に助力するが、その理由を「お得意様が増えるから」だと語っている。彼は商人なので特におかしいわけではない。ただ、彼は何かにつけて「お得意様」「商い」といった言葉を口にする。商人としての仕事に励んでいるのかと思えば、どうもサボりがちのようだ。

 主人公がコトブキムラを追われた場面で、言動の不自然さが顕著に表れる。
 コンゴウ団もシンジュ団も頼れないところに現れた彼によって、伝承を知るコギトの元に辿り着くことになるが、ここでも「お得意様がいなくなるのは困る」と言っている。
 仮にこの台詞が無かった場合、プレイヤーは(事前に情報を得ていなければ)ウォロの行動を「主人公を気にかけているのだな」と解釈することも出来ただろう。しかし、ウォロに前述の台詞を言わせることで、普段と変わらない行動であると明確にしている。「いつもと同じ態度を取ることで主人公へを励ました」とも取れなくはないが、そもそもこの言葉は彼の本心ではないのを踏まえると、あまり良い意味には受け取れない。
 コギトとの出会いのすぐ後には、シマボシが表向きは団長に従いながらも、ケーシィを助っ人として向かわせていたことが判明する。自らの意志を言葉で示したのがウォロ、行動で示したのがシマボシという対比にも取れる。

 後々に明らかになるが、ウォロには別の目的があった。彼はそのために行動しており、「お得意様」という言葉はそれを誤魔化すための方便だったということになる。
 おそらく、ウォロは他の人々に対しても同様の態度だったのではないかと思われる。最初に会った時に、「銀河団が増えるのはお客様が増えること」と言っていた。主人公を助けるのは(自身の好奇心も少なからずあるかもしれないが)「商いのチャンスのため」と理由づけており、商人としての動機に終始している。
 接する皆が「大事なお得意様」であるなら、それは「特別な誰かは存在しない」とも言えるのではないだろうか。相手の考え方や立場がどのようなものであろうと、彼にとっては何の意味も持たない。
 ウォロがそのように振舞うのは、そのルーツと生い立ちが強く影響しているのだろう。シンオウ神殿での勝負の時、彼は主人公に対して「余所者」と言い放つが、それは他の人達にも向けられていたものかもしれない。ヒスイ地方は、かつて先祖の古代シンオウ人が住んでいた地。そこに居座っている「余所者」と付き合うために、あるいはそれより前から商人の仮面を被り続けていたのだろうか。

 そんなウォロが何故選ばれないのか?
 前半でアルセウスの力は「祈り」であると解釈した。祈りの意味は複数あるが、意味合いとしては「他者のために願う」が最も近い。アルセウスの祈りを実現するのに必要なのは「他者のための行動」なのだろう。
 それを示唆する文章がゲームの中に登場している。

すべての いのちは
べつの いのちと であい
なにか を うみだす

くうかんとは すべての ひろがり
そして こころも くうかん……

 一つ目はズイの遺跡にある文章で、二つ目は「古いポエム」に記された一文だ。後者はBDSPでカンナギタウンの壁画にも書かれている。これらの文章は、誰かと関わること、心を通じ合わせることの重要性を説いているように感じる。LEGENDSの物語の中でも、紅蓮の湿地でまさに同じようなことが描かれた。

 心は別の心と混ざりあうことで変化する。混ざる心が多くなるほど宇宙も広がり、やがて世界という宇宙に働きかける大きな力に変わる。主人公の行動がヒスイ地方の人々の心を変えたのは確かだが、それは主人公が周りの人々と協力し、時には対立して関わって来たからだ。

 仮面に隠されているウォロの宇宙は、誰も触れられないし、見ることも出来ない。認識されないものは、誰かの心を変えられるのだろうか。
 仮にウォロが使命を託されたとして、おそらく自らの力だけで成し遂げようとするだろう。ヒスイ地方の歴史や神話を調べ回った彼なら、一人でも試練を乗り越えられるのかもしれない。しかし、コンゴウ団とシンジュ団は対立したままだろうし、ポケモンを恐れる銀河団の人々の心も変わらないのではないだろうか。
 他者との関わりを拒んだウォロは心の否定者とも言える。心を「不完全なもの」と断じ世界を創り変えようとしたアカギと同様、シンオウ神話へのアンチテーゼ的存在なのだ。

 古代の英雄が英雄たりえるのは、困難を乗り越えたこと自体ではなく、その行動が周りの心を動かしたことが重要なのだろう。ヒスイ地方の人々に変化をもたらした主人公のように。
 ウォロ自身も望んでそうなったわけではないだろうが、その振る舞い故にアルセウスの祈りを実現出来ないという点が、彼が選ばれなかった理由ではないかと考える。

 ウォロの願いは潰えたが、彼の未来に光がさすことは無いのだろうか。
 初めて主人公と出会った時に、「ポケモンを競わせるのは楽しい」と言っていた。彼が消えた後になるが、ポケモン図鑑の完成をとても楽しみにしていた、とも。これらは偽りのない本心ではないかと思う。
 ウォロが心を見せる時には、いつもポケモンが彼の傍にいた。ポケモンを通じて、商人でも古代シンオウ人でもない一人の人間として誰かと接することが出来たなら……いつかは祝福が訪れる時が来るのかもしれない。何より彼自身の心次第ではあるけれども。

プチ追記:例の台詞とイチョウ商会について

 槍の柱でウォロとギラティナを倒した後、ウォロは去る前に主人公に向けてこのような台詞を投げかけてくる。

このようなときでも ワタクシは
好奇心を満たさねばならない!

(主人公)さん……
アナタには夢があるのか?

 唐突に思える問いかけだが、これまでの考察を踏まえると、ウォロが初めて誰かの心を知ろうとしたという変化の兆しであったのかもしれない。
 プレート考察でも少し触れたが、ウォロは「プレートを全て集めればアルセウスに会える」と誤解していた節がある(アルセウスフォンのことは博士を通じて知っていたようだが、「すべてのポケモンにであえ」については知らなかったように見える)。
 仮にウォロが早くから誰かの心を知ろうとするようになっていたなら、主人公が託された使命のことを知り、もしかすると協力する道も存在していたのかもしれない。

 ここからは完全に妄想だが、ウォロがこのようになったのはイチョウ商会の影響もあるのではないかと考えている。イチョウ商会は(ウォロを除けば)他の集団とは異なり、物語の展開に全くと言って良いほど関わらず、タイミング固有の台詞なども無い。「他人=お得意様(ビジネス相手)」というスタンスがウォロのみならずイチョウ商会の人々も同様だったとすれば、上記の無個性さに説明がつくのかもしれない。
 ウォロが去った後にイチョウ商会の人々が何も言及しないのも、(おそらく)放浪の民の集まりである彼らにとっては、誰かがいなくなるのは日常茶飯事だったりするのだろうか……?

(単にアカギのテンガン山イベントもしくはNのセルフオマージュだったりしてね)

2022/03/05