シンオウ神話を考える~湖に眠るもの~

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「こころ」をつくったポケモンたち

 前回触れた「はじまりのはなし」によると、「さいしょのもの」から「みっつのいのち」が生まれ、彼らが祈ることで「こころ」が生まれたという。
 この「みっつのいのち」は湖に住む三匹のポケモンと見て間違いないだろう。

 湖のポケモン達――ユクシーは知識の神、エムリットは感情の神、アグノムは意志(または意思)の神と呼ばれているという。いずれも精神面に関わるものであり、心を司る存在であることを示唆しているようだ。

 更に、どうやら「こころ」をつくった他にも役割を持っているらしいことが、「シンオウの しんわ」から読み取れ得る。

「シンオウの しんわ」

3びきの ポケモンが いた
いきを とめたまま みずうみを ふかく ふかく もぐり
くるしいのに ふかく ふかく もぐり
みずうみの そこから だいじなものを とってくる
それが だいちを つくるための ちからと なっている という

 「3びき」「みずうみ」のキーワードから、アグノム、エムリット、ユクシーを指しているものと思われる。湖の底にある、大地を創るための力とは何だろうか。
 これを考えるにあたって、シンオウ昔話の一つが浮かんできた。

「シンオウ むかしばなし その1」

うみや かわで つかまえた ポケモンを たべたあとの
ホネを きれいに きれいにして ていねいに みずのなかに おくる
そうすると ポケモンは ふたたび にくたいを つけて
この せかいに もどってくるのだ

 水つながりで湖が関係してくるのではと考えたが、「うみや かわで つかまえた」という文章、ここに湖が無いのは気になるところだ。輪廻のようなサイクルを考えていたのならば、海で捕まえたものは海に、川で捕まえたものは川に送られるのが自然な流れではないだろうか。
 湖が含まれていない=湖のポケモンは食するための対象では無いように読み取れる。その理由とは何だろう。

 注目したいのは二行目。「きれいに」という単語を重ねている点から、丁寧に洗っていたことが想像できる。どのようにして洗ったのか? おそらく水を使ったはずだ。更に綺麗にするということは穢れを落とすことだから、骨を送り返す場所である海や川には穢れを流さないようにしたと思われる。
 湖は骨の穢れを落とすための場所だったのではないだろうか。そしてここに「だいちを つくるための ちから」の正体が隠されている。

 思うに、湖で落とされた穢れが大地をつくるものとなる、と考えたのではないだろうか。綺麗になる前の骨についていた穢れ=食べ残された部分、つまりポケモンの身体が大地の由来であるという思想だ。
 想像ではあるが、この神話の背景には地震があるのではないかと思う。地震は時には地形を変化させる力を持つ。地震が起きるのは、ポケモンが湖の底で大地を創っているからと考えたのではないだろうか。

 しかし、これではやや整合性に欠ける。ユクシーたちが司るのは「こころ」であり、また湖の底から取って来るのは「だいちを つくるための ちから」であり大地ではないからだ。
 大地を創るポケモンが別にいるとすれば、やはり「もの」を作り出すパルキアとディアルガだろうか。「こころ」を司るポケモンが「だいちを つくるための ちから」を取り、この二匹に働きかけることで大地が創られる。こう考えれば繋がりそうだ。

 湖の底は、死の世界に近い場所なのかもしれない。突き詰めれば死体の行き着く場所であるし、「シンオウの しんわ」の「いきを とめたまま」「くるしいのに」という表現は臨死体験を連想させる。
 生者では辿り着けないからこそ、「もの」を司る神ではなく「こころ」の神が行く必要があるのだろう。

 三匹のポケモンのことを示すと思われる「おそろしいしんわ」の存在も、ここに関係していそうだ。

その ポケモンの めを みたもの いっしゅんにして きおくが なくなり
かえることが できなくなる
その ポケモンに ふれたもの みっかにして かんじょうが なくなる
その ポケモンに きずを つけたもの
なのかにして うごけなくなり なにも できなくなる

 死の世界に行けるということは、裏を返せば死に近いところにいる存在であることに他ならない。「おそろしいしんわ」が生まれたのは、死の世界に引き込む力を持っていると考えられたのが理由なのではないだろうか。
 プラチナでは「やぶれたせかい」に入り、構造についてもある程度知っているような描写がなされていた。この点も死に関係する面を補強する要素となったのだろう。

 アカギがパルキア達を呼び出すために用いた「あかいくさり」は、時空の神々の心に働きかける「こころ」の神の力だろうか。
 神話はそのほとんどが想像から生まれたはずだが、実際に起きたことも少なからず存在しているのかもしれない。

 2010/4/7追記:シンオウ神話にある「はじまりの はなし」の記述に気になる箇所がある。パルキア達を指す「ふたつのぶんしん」は「つくった」に対して、ユクシー達「みっつのいのち」は「うみだした」とされている点だ。もしかすると、パルキア達は「こころ」を持たない存在なのかもしれない。
 肉体(もの)をつけてこの世界に戻るということは、冥界は「こころ」が無い者には行くことの出来ない場所なのではないだろうか。
 そうであれば「おそろしい しんわ」の存在にも合点がいく。昔の人々にとって「こころ」が失われるか欠けた状態になるのは非常に恐ろしいことだったのだろう。「こころ」を無くしてしまった者は、この世界に戻ってくることが出来ないのだから。

失われた巨人の神話

 先述したポケモンの身体が大地の由来であるとする考えについて。現実でも、死体から世界が生まれる神話は各地に存在する。それらは総じて「世界巨人型神話」もしくは「巨人解体型神話」と呼ばれている。
 各地の世界巨人型神話についてはこのページが詳しく取り上げている。(※2021/09/05 リンク先をWebアーカイブに変更しています)

 巨人といえば、シンオウ地方で拾えるプレートにも登場している。
 プレートに書かれた一文「プレートに あたえた ちから たおした きょじんたちの ちから」という文面は、神々が巨人を倒した神話が存在したことを思わせる。
 湖の底に眠っているのは、かつて神々に倒された巨人なのかもしれない。

2021/04/13 「おそろしいしんわ」が生まれたワケ

 湖のポケモン達が心の要素を司っていると考えられるようになった経緯はある程度考察してみたが、「おそろしいしんわ」が生まれた具体的な経緯についても考えてみたい。

 以下に引用する図鑑の説明文を見るに、エムリット達はシンオウの各地にある三つの湖に結び付いているイメージがあるようだ。

いしのかみと よばれている。 みずうみの そこで ねむりつづけ せかいの バランスを とっている。(アグノム/ダイヤモンド)

みずうみの そこで ねむっているが たましいが ぬけだして すいめんを とびまわると いわれている。(エムリット/パール)

 省略するが、他には「彼らが飛び回ったことで感情・意思・知識を生まれた」内容の説明文もある。人々に心を与え、その後湖で眠りについたといったところだろうか。これは創世神話の一部のようにも読み取れる。ゲーム中では確認できないが、創世神話にはこのようなエピソードもあったのかもしれない。

 ギラティナ考察にて、「もどりの洞窟」からエムリット達は「やぶれたせかい」を行き来しているのではないかと述べた。しかし、湖と結び付けられているということは、湖周辺で見かけることが多かったはずだ。「みずうみを ふかく ふかく もぐり…」という記述は、湖に潜ったきり出てこないという出来事があったことを思わせる。テンガン山や戻りの洞窟だけでなく、エムリット達の住む湖も「やぶれたせかい」に通じているのだろうか。

 閑話休題、湖の周りを飛び回る不思議なポケモンを見つけた時、人々はどう思ったのか。三匹とも小柄な姿なので、それほど危険な存在だとは感じないだろう。好奇心からポケモンの正体を確かめようとしたかもしれない。そうやってエムリット達に触れようとした人達が「やぶれたせかい」に引き込まれて「かえれなく」なったり、彼らが持つ超能力の影響で精神に変調をきたし「うごけなく」なったり、「かんじょうが なくなる」ような状態になってしまった。やがて、湖のポケモンに関わってはいけないという警告として「おそろしいしんわ」が生まれたのだと考えられる。

 湖のポケモン達が持つ顔は「おそろしいしんわ」に描かれたものだけではない。人々に何かをもたらす存在でもあるからこそ、彼らは「神」として信仰される存在になったはずだ。それが何であるかについては、また別の機会に触れたいと思う。

2010/04/10