シンオウ・フィクション3~交ざりあう世界~

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創世神話に至るまで

 本題に入る前に、創世神話という類型について少し触れておく。(伝承を時系列に並べるとすれば)もっとも始めの話となる創世神話であるが、成立する時期は後であることがほとんどだ。

 人が生活を営むにあたって、思考の多くはまず生命活動に費やされることになる。食糧はどうするか、安全な寝床はどこかといった問題の解決が最優先される。
 生活基盤が安定して初めて、様々な事象について考える余裕が生まれてくる。身近な目に見えるものに関する疑問から始まり、「世界」というスケールの大きいものはまだ先になる。
 (特定の動物について)何故このような姿なのか? 太陽や月はどうして出来たのか? 季節は何故巡るのか? そういった疑問に対する回答として、いわゆる由来譚という物語が作られる。「シンオウちほうの しんわ」は「それからというもの、草むらに入るとポケモンが飛び出すようになった」という結びであり、これは由来譚の典型と言える。
 こういった伝承が成熟してから、自分たちが生きる世界はどうやって生まれたのか……すなわち創世神話がようやく芽吹くわけだ。

 全てがこのケースに当てはまるわけではないが、シンオウ地方も似たような経緯を辿ったと考えられる。ズイの遺跡や戻りの洞窟の古代文字と、カンナギの壁画の文字が異なっている点から、シンオウの伝承は相当長い期間をかけて作られてきたようだ。

テンガン山信仰と、創造神話の芽生え

 シンオウ地方に生きる人々が生活圏を広げるにあたって、避けて通れないのがテンガン山だろう。シナリオ中では、テンガン山に現れたディアルガ(パルキア)によって、シンオウ地方上空に異変が現れた。


シンオウ上空が何かに覆われる様子。(何だったのかはリメイクでも謎のままだった)

 何が起きているのかは具体的には不明だが、この現象はかなり広範囲に及んでいたようだ。離島のファイトエリアに言及する人物がいるため、遠くからも視認できていたことになる。
 これが過去にも起きていたとすると、当時の人々は相当驚いたと思われる。空が覆われる……つまり、太陽が隠れてしまうのだから。今でこそ原理が知られているが、規則正しく空を巡る太陽が隠れてしまう日食は、昔の人々にとっては重大な出来事だった。
 シンオウの人々は「テンガン山の天辺には何かがいる」と考えたはずだ。その想像が源となりテンガン山へのだろう念が生じた。そして、頂上でディアルガやパルキア(あるいはアルセウス)を目撃した。これは「やりのはしら」の存在からも事実としてよいだろう。
 ゲーム中でも語られている通り、ただならぬポケモン達の存在が人の精神を震わせ、その心が創造神話を生んだのかもしれない。ただ、この三体(ギラティナも合わせると四体か)が創世神話の全てであるとも言い難い。

 ミオ図書館の「はじまりのしんわ」においては、「ふたつのぶんしん」と「みっつのいのち」は祈ることによって「もの(あるいはこころ)」を生み出したという。祈るという行為には、目を閉じる所作が伴うことが多い。目を閉じた状態といえば、眠り……ミオシティ周辺に伝わる夢にまつわる伝承が繋がって来る。
 キッサキ神殿に祀られているレジギガスはアルセウスと複数の共通点を持っており、少なからず関係をにおわせている。

 テンガン山を越えてシンオウ各地に散らばった人々は、三つの湖の周辺を主な拠点とした。彼らはそれぞれの土地で固有の伝承を生み、それらが混ざり合ったものが、今に伝わるシンオウ神話なのではないだろうか。
 伝承の融合は、ポケモン像があるハクタイや、壁画が残っているカンナギタウンで成されたのだろう。この二つの町は、テンガン山越えの際の逗留地が発展して出来たと思われる。ハクタイでは伝承の名残は薄れているが、これは外の人が行き来するミオとコトブキが近いことが影響していそうだ。
 カンナギの壁画を遺した風習から、件のプレートも生まれたのかもしれない。

やりのはしらについて考える

 テンガン山の遺跡「やりのはしら」は、何の目的で造られたのか。祭壇の類にしてはかなり大規模に見える。これに関しては、テンガン山頂上で起きる現象が発端ではないかと考える。
 リメイク版にてこの遺跡の漢字表記が「槍の柱」であると判明したわけだが、槍は神話においては光の比喩として使われることがある。テンガン山の頂上に建てられた光の柱……その役割は、先に述べた現象が起きた時に、太陽の代替を果たすことなのではないだろうか。
 空の光と言うと雷も候補に上がるが、テンガン山の頂上は雲よりも上にあることから、太陽と見るのが自然だろう。
 材料が少ないので断定は出来ないが、シンオウではどこかの時代で太陽信仰が生まれていたと思われる。

時間と空間は外からやって来た?

 今のシンオウ神話を形成した伝承は、シンオウの内側だけでなく外からももたらされたものも含まれている可能性がある。わかりやすいものとしてディアルガが司る「時間」という要素だ。

 過去から未来へと流れる一つの連続した時間の神格という例はまず見られない。信仰に現れるのは、季節を司る農耕神人の寿命を定める神など、一定の区切られた期間であることがほとんどだ。また、オーストラリアの先住民族のアボリジニは、時間の概念を持たないという話もある。狩猟採集生活の段階では、神格化どころか時間の概念が生まれること自体が難しいようだ。

せいかくに ときを つげることから せかいの ことわりを わきまえた ちえのかみさま とする くにもある。(プラチナ)

まいにち きまった じかんに なく。 ときをつげる かみの つかい として むかしのひとは たいせつに していた。(ムーン)

 上記はホーホーの図鑑説明文だ。間接的ながら、時間についての信仰がある地域もあることを示唆している。具体的にどの国(地方じゃなくて?)かは触れられていないが、そういった所から持ち込まれた伝承がシンオウ神話に組み込まれたのではないだろうか。
 既知の地方の中では、伝説ポケモンが過去と未来を象徴しているイッシュ地方、天体にまつわるアローラ地方あたりだろうか。しかしどちらもホーホーが生息していないという問題がある(アローラにはマイナーチェンジで登場するが)。

 ディアルガやパルキアの存在は、おそらく大昔から人々に認知されていたはずである。最初は「テンガン山に住まう強大な何者か」という程度の認識だったものが、様々な伝承が混ざり合うことで時間と空間に結び付く存在へと変化していったのだろう。
 もしかすると、古い時代にはまた別の役割を担っていたのかもしれない。

アルセウス信仰についての考察

 アルセウス、ディアルガ、パルキア。この三体は世界を創造したというスケールの大きいエピソードを持つ反面、その逸話にしか現れない。世界創造にしか関わらない存在は「暇な神」とも呼ばれる。
 大いなる存在であるが、生活には関わらないため信仰されることもない……図鑑の説明文にのみ残されており、壁画も残っていないのは、アルセウスが暇な神ゆえなのだろう。逆説的に、ディアルガとパルキアの壁画や像が存在するということは、彼らに別の役割があった名残であるのかもしれない。

想像して、創造する

 ここまでシンオウ地方の信仰の成り立ちを考察してきたが、これも神話のほんの一部、一つの解釈でしかないことを最後に述べておく。
 シンオウ神話に限らず現実においても、神話の全貌を捉えるのは不可能と言ってよい。神話と信仰は長い時代の中で変わり続け、そして同じ時代であったとしても神話の形は一つとは限らない。神話の源は人の心であり、その時代に生きる人の数だけ神話があるからだ。
 今日にまで伝わることのなかった神話も、おそらく無数にあるはずだ。ギラティナや生みの伝説がそうであったように。
 文字であろうと言葉であろうと、神話は語り手の心というフィルターを通している。LEGENDSアルセウスにおいて、ヒスイ地方で活動しているコンゴウ団とシンジュ団は考えの違いから対立しているが、これも「異なる神話」の一つの形であると言える。

 ミオ図書館の前にいるNPCのセリフなどでも、「時間」と「空間」というワードは度々強調されている。人が生きる時代(時間)と、語り手の心(空間)が神話の源を創る。生まれた神話は伝え聞いた人々の感情を動かし、彼らの知識で神話は育つ。そして、聞いた人々の意志によって、また別の人へと伝わっていく……シンオウ神話には、そんなメッセージがこめられているのかもしれない。

 神話の向こうにあるものに考えを巡らせるとき、我々の心にも神話は芽生えている。想像すればするほど、心の中の神話の世界は広がっていくはずだ。このフィクション(想像)がその一助になれば幸いである。

2021/12/18