ヒスイ遺跡探訪~群青の海岸~

大海原を臨む海岸

 「Pokémon LEGENDS アルセウス(以下LEGENDS)」のヒスイ地方を巡る遺跡探訪。三回目は東部の「群青の海岸」を見ていきます。


広がる大海原には、後の時代には見られない地形も数多い。

変化の激しい地形

 ダイヤモンド・パール(以下ダイパ)のシンオウ地方東部と比較すると、群青の海岸は大きく変化しているようです。戻りの洞窟を基準にすると、帳岬はダイパ時代ではほとんど無くなっています。海岸ベースがある砂浜は面積が減少し、海の門は無くなっています。
 キング場が離れた島にあること、潮の抜け道に残された壁画の存在を踏まえると、波の浸食によってこれらの地形が形成されたと考えられます。主人公達がヒスイ地方を調査している間にも、浸食は続いていそうです。ヒスイから更に昔の古代シンオウ時代はどのような地形だったのでしょうか。

ヒスイからシンオウへ

 海岸ベース付近、浜の手には座礁した二隻の船があります。木造船が形を保ったまま残っていることから、それほど時間の経っていないものでしょう。おそらく銀河団の船と考えられます。


浜辺に打ち上げられた船。形状から考えると、帆による風力と後ろから櫓(ろ、オールみたいなもの)を使って人力で動かしていたのだろうか。

 何故(推定)銀河団の船が群青の海岸にあるのか。銀河団は、最初はヒスイ地方の東側から開拓を始めようとしたのではないでしょうか。そこで地形を俯瞰してみると、群青の海岸周辺から上陸するのは困難であるように見えます。いくつかルートを考えてみましょう。


群青の海岸のマップ。海が大半を占めており、陸地も険しい山が多い。

 北側の海岸のしまなみ浜は、陸地を崖に囲まれているため開拓ルートとしては使えないでしょう(積荷のような木箱が漂着しているのを見ると、調査はしたかもしれませんが)。中央の静かな内海を通るか、南の浦の浜から上陸するかのどちらかに絞られます。
 静かな内海は一見簡単に入れそうですが、岩礁が点在しているうえにギャラドスをはじめとした水棲ポケモンが生息しています。ライドポケモンが使える主人公はともかく、船にとっては大きな障害です。
 浦の浜は岩礁の類は無いようですが、上陸した先にはオヤブン個体のエテボースが出現します。ポケモンを使える人間が少ない段階では、突破するのはかなり難しいでしょう(集団であったり、荷物を持っていれば尚更)。
 最も現実的と思われるのは浜の手からの上陸ですが、本格的な拠点とするには陸地が小さく、イチョウの浜辺への陸路も地形やポケモンに阻まれます。海からの上陸を試みたものの、いずれのルートも上手くいかず、結果的に西からアプローチすることになった……という経緯なのかもしれません。
 東の群青から西の黒曜まで、北南どちらの海路を通るとしてもかなりの距離です。コトブキムラをつくるまでの銀河団の労苦は、我々の想像もつかないほどのものだったであろうことが窺えます。

 前提である「ヒスイの東から開拓を始めようとした」仮説に関しても触れておきます。根拠は現代……シンオウ地方の二つの都市、ナギサシティとキッサキシティです。
 ナギサシティは海に面した発電施設を抱える街で、街の端には灯台が建てられています。灯台は海上を進む船にとっての道しるべであり、シンオウ地方の東側は船が航行している事実がわかります。
 加えて、北のキッサキシティにある船着き場。ゲーム中ではハードマウンテンとの行き来でのみ使いますが、大きなクレーンがあることから、他にも用途があると推測できます。おそらくは付近を航行する船の補給港でしょうか。

 LEGENDSの時代からヒスイの東側は船舶の往来があり、その安全確保と補給のためにヒスイに拠点を建てようという活動が始まったのではないかと想像しています。銀河団にパトロンが付いたのも、そのようなメリットがあったゆえなのかもしれません。
 ナギサシティに港が無いのは、ヒスイ時代から大きく変わっている地形が原因でしょう。海岸ベースから拠点を作ったものの、港の建造には地盤が弱いため灯台を建てるに留まった。それでも補給港の需要が望まれたため、他に適した土地としてキッサキシティの場所が選ばれたと想像します。
 このような背景を考えていくと、ヒスイとシンオウでコトブキムラ(シティ)の位置が異なる訳にも繋がりそうです。コトブキシティはヒスイの時代で言うとシシの高台あたりではないかと思いますが、東側に港を建てることを見据えて拠点を移したのかもしれません。
 クリア後のエピソードでは、石炭に関する言及がありました。後に実際に石炭を採掘できるようになり、元コトブキムラは工業用の港として使われ、そしてミオシティになったのでしょう。ヒスイ地方を眺めていると、シンオウへの道のりがおぼろげながら見えてきます。

遺跡は語らず

 ヒスイからシンオウを一通り想像したところで、遺跡にも注目してみます。やはり気になるのは戻りの洞窟でしょうか。陸地は三方を崖に囲まれ、入口周辺も小高く盛り上がった地形に囲まれており、まるで洞窟自体が入ることを拒んでいるようにも見えます。
 洞窟の入口と内部には石柱があり、おそらく古代シンオウ人によるものでしょう。やや意匠が異なりますが、各地に点在する遺跡の柱は二通りあるようです。入口の柱と同じものは黒曜の原野の高台ベースと戦場、紅蓮の湿地の戦場に見られます。その他の場所は内部の柱と同じ意匠になっていました。
 外の柱は苔生したようにも見える緑がかった色で、黒曜の原野編でも触れたディアルガとパルキアの頭部像と同じものに見えます。内部の柱は白く、天冠の山麓に点在するポケモン像と同じ材質のようです。
 後者の方が加工技術が高いであろうことから、単純に考えると内部の柱が先に造られたように思われます。


戻りの洞窟の柱の比較。中は根元が埋まっており白い。外のものは所々が苔のような緑色をしている。

 ヒスイ地方には遺跡が点在していますが、使われている石材は白いものの方が割合が多くなっています。推測なのですが、白い石材は天冠の山麓にある石切り場のものだと思います。初期は緑色の石材でキング場を造り、後に石切り場から石材を安定して供給できるようになり、住居にも白い石材を使うようになったのではないでしょうか。
 月迎の戦場のみ後期の石材になっていますが、洞窟キングの名からして、あの場所は元は洞窟だったようです。おそらく元はここも緑色の石材だったのが、天井の崩落に巻き込まれて壊れたのでしょう。
 ここまでの推測に基づくと、緑色の石材の柱が建てられている戻りの洞窟は、キング場と同じように重要な場所だったとも考えられます。

 三つの湖にある空洞にも、戻りの洞窟内と同様の柱が建てられていました。外の柱はありませんが、ダイパの描写によると空洞は水中に沈んでいることもあるようなので、湖に沈んでいる可能性もあります。
 ギラティナとエムリット達には「やぶれた世界」という共通点がありますし、遺跡を造った人々は送りの泉と三つの湖は近しいものと考えていたのかもしれません。

 ダイパの戻りの洞窟にも柱がありましたが、ここは前述の2つのいずれとも異なります。そもそも内部の構造自体が変わっていて、洞窟のようなLEGENDSに対して、ダイパでは遺跡と言ってもよいでしょう。ヒスイの時代以降に戻りの洞窟内をつくりかえたとは思えません。
 マップ情報によればこの洞窟は空間が捻じれているらしいのですが、異変が起きているのは空間だけではないのかもしれません。


ダイパの戻りの洞窟の柱は茶色いブロックを組み合わせたような形状をしている。内部も遺跡っぽくて、何だか奇妙。

 洞窟の南にはダイパの街名としても残る帳岬があります。位置関係から考えると、戻りの洞窟を隠すための「帳」という意味を含んでいるように思われます。岬を延長すると、キング場がある火吹き島も隠していると解釈もできそうです。
 キング場といえば、ヒスイウインディが守るキング場が海上の離れ島にあるのも少し不思議な気がします。シナリオ中で先代キングが命を落としていることからもわかるように、海を渡るのにはリスクが伴うはずです。それでも火吹き島にキング場が置かれたことにも、理由があるのでしょうか(古代では帳岬とも繋がっていた、という可能性はありますが)

 古代シンオウ時代の人々にとって、戻りの洞窟はどんな意味を持っていたのか。これ以上は材料が見当たらないため、掘り下げるのは難しそうです。他の土地と合わせて見直すと、また違った発見があるのかもしれません。

2024/09/08