深堀りトバリの神話

 トバリの神話について掘り下げてみよう(掘るだけ)というネタ。全部妄想ですよ。

 リメイク前の考察まとめはシンオウ考察のまとめページ、リメイク&LEGENDSアルセウスはトップページからご覧ください。

トバリのしんわ

 過去の考察でも引用しているが、改めてトバリの神話の全文を載せておく。

「トバリの しんわ」

つるぎを てにいれた わかものがいた
それで たべものとなる ぽけもんを むやみやたらと とらえまくった
あまったので すててしまった
つぎのとし なにもとれなかった ぽけもんは すがたをみせなくなった

わかものは ながいたびのあと ぽけもんを みつけだし たずねた
どうして すがたをかくすのか?
ぽけもんは しずかにこたえた
おまえが つるぎをふるい なかまをきずつけるなら
わたしたちは つめときばで おまえのなかまを きずつけよう
ゆるせよ わたしのなかまたちを まもるために だいじなことだ

わかものはさけんだ
おまえたち ぽけもんがいきていること
つるぎをもってから わすれていた
もうこんな やばんなことはしない つるぎも いらない
だから ゆるしてほしい
わかものは つるぎをじめんに たたきつけて おってみせた
ぽけもんは それをみると どこかに きえていった

ポケモンが言葉を話す

 ゲーム中のテキストで確認できる伝承の中で、明確にポケモンが言葉を解している描写があるのはこの神話だけである。トバリの神話だけが特異であるように見えるが、実は動物が人と同じように言葉を話すという考えは狩猟民族に多く見られるのだそうだ。人とポケモンは同じだったとするシンオウ昔話についても同様である。
 トバリの神話は、ポケモン食を否定する内容に反して、狩猟民族(=ポケモンを食べていた時代)の価値観が含まれていることになる。

 狩猟民族の価値観……人と同じ知性がある(と見なしている)相手を殺すという点については奇妙な印象を受けるかもしれないが、必然的な流れでもある。狩りの対象は日常的に接する相手であり、だからこそ彼らに知性や精神を見出す。そして知性があると捉えているからこそ、糧にする許しを得るための儀式を行うのだ。
 神話の中に「つるぎ」と具体的な道具の名前が現れているが、狩るだけなら棍棒などでも良いはずだ。ポケモンを送り出す儀式のほかにも、ポケモンを狩る時に行う儀式もかつては存在していて、「つるぎ」を用いていたのかもしれない。
 補足:剣といえば金属製のものを思い浮かべるが、石(黒曜石など)や木を素材にしたものもある。

 この点は、トバリの神話の原型が古い時代から存在していた可能性とみることが出来る。この神話にポケモン食を否定する思想が入っているのは明らかだが、後半でポケモンが言葉を話しているのは、大本の伝承に狩猟民族特有の視点があったからではないだろうか。
 該当の部分はポケモン食を否定しているくだりなのだが、人々の間で伝えられるうちに内容が変化していったと考えれば矛盾はない。

暦の概念がある

 4行目の「つぎのとし」という部分から、年の概念、すなわち暦が存在していることがわかる。
 暦を用いるのは多くは農耕民族であり、前述した狩猟民族は暦を使用することは少ないという傾向がある。狩猟民族も植物や動物の変化で季節は感じ取っていただろうが、一年という区切りは、どちらかと言えば農耕民族寄りのように思われる。
 (季節を問わず数日で結実するポケモン世界で暦に意味があるのか、という疑問はあるが……木の実以外の植物はそうでないのかもしれない)

 キッサキシティ周辺のように寒さが厳しい土地がある一方、南部は温暖らしい(ズイタウン等)ので、シンオウ地方でも一部では農耕も行われていた可能性はあるだろう。
 もしくは昔の日本のように、外から暦の概念が持ち込まれたか。シンオウ地方と交流があったとされるジョウト地方だが、再考察で農耕が盛んだったのではないかとする仮説を立てた。シント遺跡のみつぶたいはギラティナが神話に存在していたことを示しており、古い――ポケモン食が行われていた―時代に造られたものであると考えられる。
 シンオウからジョウトに渡った人がいたのは確かだが、逆もあったとすれば、暦をもたらしたのはジョウト地方の人々なのだろうか。

ポケモン食を悪しとする価値観

 これは以前も触れたが、ポケモンが獲れなくなった以降の内容は、ポケモンを食する習慣を否定するものになっている。重箱の隅つつきになるが、狩猟民族の風習に詳しくない者の視点であるようにも見える。
 先にも触れているが、狩猟民族には狩りの対象の動物は対等な存在という大前提がある。ポケモンを「むやみやたらに」狩ることはしないし、「いきていること」を忘れるというのは、まずありえないだろう。

トバリの神話原型予想

 トバリの神話は様々な視点が混ざり合い変化したものだとすると、最初はどのような内容だったのかを考えてみたい。神話の中から、狩猟民族の要素を抜き出してみる。

  • ポケモンを食糧として狩る
  • ポケモンが喋る
  • 旅をする(獲物を求めて移動するのは狩猟民族の常である)

 上記から物語として拾えそうな要素は「旅」だ。大本は若者が旅をした話だったのではないか。詳しい根拠は省くが、シンオウ地方のポケモン食が途絶えたのは、何らかの天変地異でポケモンが激減し、狩猟では生きていけなくなったことが契機だったと考えている。もっとも、完全に狩猟をやめるまでには時間がかかったはずだから、それまではポケモンを探し続けただろう。

 トバリの名前が付いた理由としては文字通りトバリ発祥である他に、「トバリの(民の)神話」という意味合いで名付けられた可能性が浮かぶ。
 狩猟民族がトバリ周辺で生活していたところに、何らかの異変が起きてポケモンがいなくなった。狩猟民族はポケモンを探してシンオウ中を旅して回った結果、各地にトバリの狩猟民族にまつわる伝承として残ったという流れだ。

 放浪を続けた狩猟民族がモデルとなって原型が生まれ、人々の間で語り継がれる間にそれぞれの価値観に合わせて変化していき、現代のトバリの神話が生まれた。
 シント遺跡には、人が移動することで神話や伝説が混ざり合うという内容の台詞を語るNPCがいるが、トバリの神話はそれを体現するものの一つなのかもしれない。

トバリの神話の元ネタと違い(2021/12/29)

 トバリの神話の原型と思われるアイヌの伝承がある。「梟の神が自ら歌った謡 コンクワ」というものだ。概要を以下に記す。

 ある時、人間は飢饉に見舞われていたが、その原因は彼ら自身の行いにあった。
 人々は鹿や鮭を叩き殺した後にそのまま捨て置いたため、彼らは泣いて神のもとに帰っていたのである。怒った神は人間に鹿や鮭をもたらすのをやめてしまった。
 夢を通じて飢饉の原因を伝えたところ、人間も自らの過ちに気付いて鹿や鮭を丁寧に扱うようになり、飢えることはなくなった。

 例によって、北アメリカにも似たような話があるが、本文では割愛する。
 おそらく、これらの話は訓話と思われる。「昔、このような行いのために報いを受けたので、動物の体は丁重に扱わなければならない」と決まりを守らなくてはならない理由として作られたのだろう。
 シンオウ・フィクションでも少し触れたが、もっと根源的な要因として衛生問題があるのだろうか。

 それではトバリの神話も同様に訓話なのかというと、否である。ミオ図書館に残っているトバリの神話には、元ネタの話と決定的に異なる点があるからだ。
 先に紹介した伝承の動物達は粗末に扱われたことに対して憤っているのであって、殺すこと、食べることは焦点ではない。対して、トバリの神話のポケモンは「仲間を傷つけるならお前も傷つける」と述べており、殺すことが主軸に置かれている。
 動物を食する際、殺害という過程は不可避である。トバリの神話は、動物を食べる作法を守るための訓話とは明らかに異なっている。
 この点を考慮すると、トバリの神話の大元が訓話だったとしても、やはりどこかの時代で内容が変化している可能性が高そうだ。


2021/04/18