シンオウ神話を考える~神々が忘れられた理由~

 引き続きシンオウ神話について考えていこうの巻。シンオウ神話の神々は何故忘れられたのだろうか。

 リメイク前の考察まとめはシンオウ考察のまとめページ、リメイク&LEGENDSアルセウスはトップページからご覧ください。

異色な神話の存在

 前回の、シンオウ神話の名残があまりにも無さすぎるという疑問については「トバリのしんわ」が答えとなってくれるのではと考えた。

「トバリの しんわ」

つるぎを てにいれた わかものがいた
それで たべものとなる ぽけもんを むやみやたらと とらえまくった
あまったので すててしまった
つぎのとし なにもとれなかった ぽけもんは すがたをみせなくなった

わかものは ながいたびのあと ぽけもんを みつけだし たずねた
どうして すがたをかくすのか?
ぽけもんは しずかにこたえた
おまえが つるぎをふるい なかまをきずつけるなら
わたしたちは つめときばで おまえのなかまを きずつけよう
ゆるせよ わたしのなかまたちを まもるために だいじなことだ

わかものはさけんだ
おまえたち ぽけもんがいきていること
つるぎをもってから わすれていた
もうこんな やばんなことはしない つるぎも いらない
だから ゆるしてほしい
わかものは つるぎをじめんに たたきつけて おってみせた
ぽけもんは それをみると どこかに きえていった

 ミオ図書館で読める「トバリのしんわ」は、他の神話や昔話に比べるとやや毛色が違って見える。
 昔の人々がポケモンを食べていたのは、前回に引用した昔話を見れば明らかである。しかし、食生活という最も身近な習慣を、この神話は真っ向から否定しているのだ。
 比較的長く、一つの話として完結している点も目立つ。

 トバリの神話が作られたのは、シンオウに元からあった信仰を否定するためではないかと推測する。
 外からやって来た人々から見てポケモンを食するシンオウの人々の習慣は好ましくないものだったとすれば、それを止めさせる動きがあったであろうことは想像に難くない。
 殖民といった人の動きがあった際に、元々そこにあった信仰を捨てさせる改宗が行われるのは珍しいことではない。別の土地から人が入ってきた痕跡としては、ヨスガシティの「いぶんかのたてもの」が挙げられる。

 ポケモンを食する習慣が無くなり、連動して骨を水に送り返す儀式も失われる。習慣の変化によってポケモンに対する考え方も変化し、やがて元の信仰は薄れていく。シンオウ神話はこのような経緯を辿り、消えていったのではないだろうか。

何故「トバリのしんわ」なのか

 ここまで考察し、一つの疑問が浮かんでくる。「トバリのしんわ」という名前である。シンオウの神話ではなく、トバリという地名に限定する理由は何だろうか。

 原点に戻り、シンオウ地方のタウンマップを眺めてみよう。以下にトバリシティの説明を引用する。

けわしい やまを きりくずして
つくられたため ほかのとち とは
あまり こうりゅうを もたない まち。

 これは、トバリシティ4マスに共通する三行である。
 あまり交流が無かったということは、トバリの人々が外に出たり、逆にトバリに他の土地から人がやって来ることも少なかったと想像できる。だとすると、トバリの情報が外に伝わる機会は非常に少なかったはずだ。新たな神話を広める際、この性質を利用したのではないだろうか。

 「トバリで起きたこと」ととして、「トバリのしんわ」を広める。今までの習慣によって飢饉やポケモンとの争い(=きずつける)が引き起こされた地があるとしたら、今までの信仰を捨てるに足る要因ではないだろうか。

 ほぼ信仰が失われたにも関わらず、神話自体は本として残されている。加えて「トバリのしんわ」と似た話は他には見られない。このことから、信仰の変化は比較的穏やかに行われたのだろう。
 実際に飢饉のような災害が起こるなど、他の要因が改宗を加速させたのかもしれない。

ポケモンも ひとも てをつなぐと みんな なかよし! しわあせ だよね
だって せかいは ひとつ だもん!

こころを みることは できない だから ふあんに なる
だが みることが できないものを しばりつけるなんて だれにもできない

つよいものが やりすぎると よわいものは なにも できないだろう
つよいものが ほどほどにすること それが つよいものと よわいものが
いっしょに くらすために だいじだな

 これらは「いぶんかのたてもの」にいる人たちの言葉である。均衡を重視しているように感じられ、あまり排他的でないことが伺える。
 外からやってきた新たな信仰は、シンオウ神話の信仰が失われた原因である一方で、古い神話が残ることが出来た理由でもあるのだろう。

2021/03/14追記 トバリの神話の成り立ちを更に探る

 シンオウ考察メモにて、ミオ図書館の成り立ちについて触れたが、それにともなって前述のトバリ神話考察に疑問が出てきた。
 トバリ神話の正体が「外から来た人間がポケモンを食べる習慣を失くすために広めたもの」だとしたら、そのような人々がシンオウの伝承を残そうとするのだろうか。それぞれ別の時期に外から来た勢力がいた、という可能性もなくは無いが、具体的な根拠もないので置いておこう。
 他にも、外から人がやって来るよりも前に神話が廃れていた可能性も充分にありえる。
 ポケモンを食する文化が失われたのは、別の原因があったのかもしれない。改めて、別の可能性を探ってみることにする。

可能性その2 災害によるもの

 「トバリの神話」が一つの話として成立し、かつはっきりとした文章で残っているのは、過去に何らかの(悪い意味での)重大な出来事があったからという可能性も充分考えられる。洪水が多い場所を地名で示したり、大地震の記録を石碑に刻んだりするように。
 内容をごくシンプルに読み解くと、過去に飢饉が起きたことを示しているようにもとれる。原因は色々と考えられる。天候によってポケモンの生活圏が変わったり、あるい疫病の類が流行ったのかもしれない。距離があるが、ハードマウンテンは活火山と思われるので、過去に大噴火などしていればその影響(降灰など)があった可能性もある。またトバリシティには隕石があるが、それも関係しているのだろうか。

 食という、生命活動に強くかかわる部分を変えるのは容易なことではないと思われる。だが、現代のシンオウを見ればわかるように、ポケモンを食する習慣をやめたことは事実だ。飢饉が起きた時、食糧をポケモンから別のものに変えることが出来る下地が既にあったのではないだろうか。
 シンオウ地方には、たまごポケモンのラッキーがいる。図鑑によれば、ラッキーが一日にいくつか生むタマゴは栄養満点らしい。また、ミツハニーが集める蜜も栄養源としては適していそうだ。定住を続けていく中で、ポケモン自体ではなく副産物を得ていくように生活が変化していたのではないか。

 ともあれ、飢饉によって食糧となるポケモンを得られなくなった人々はどう考えたのか。もしかすると、自分たちの行いに原因があるという考えに至ったのかもしれない。
 食が保証され生活に余裕が出来たことで、例えばポケモンの骨を装飾品にするなどといった文化も生まれていた可能性もあるだろう。ポケモンを送り返す儀式を軽んじたためにポケモン達の怒らせたのでは、と考えた結果、ポケモン食の習慣が無くなっていったのかもしれない。

可能性その3 何も起きていない

 先述したように、ポケモン以外に食糧に出来るものは存在していた。とすれば、人々の生活が発展していくに従って、自然とポケモン食の習慣が廃れていった可能性もある。この場合、トバリの神話はポケモン食の文化が失われてかなり経った後に、理由付けとして作られた話といったところか。
 何故トバリであるかという点については、やはり災害(先に触れた隕石など)がトバリで起きていたのではないだろうか。いずれにせよ、この話が「トバリの神話」と名付けられた理由には、トバリの立地が大きく関わっているのは確かなように思う。

(2021/4/18)トバリの神話について、別の観点から考察を行ってみた。→深堀りトバリの神話
 この考察も合わせると、2つ目(何らかの災害によってポケモン食が廃れた)の可能性が最も濃いように思う。

2010/03/25